多様性を認める社会は実現するか?均質な能力特徴を求めるシステム

性格パターンと人間理解の極意

性格心理学を学ぶ1つの目的

それは多様性を認める社会を目指すこと

にあると私は考えています。

もちろん、自分自身を知り、
性格を変えるために活用するのは
人生の大きなメリットにありますし、

仕事面や恋人・友人作りに役立つでしょう。

また家族や友人など他人の性格を理解することで
コミュニケーションがうまくなるはずです。

しかし、

個人のためだけに活用するのでなく
もっと大きな視点から性格を知ることの
価値を高めっていって欲しいのです。

性格について知れば知るほど、

社会、世界、人類の発展にとって
大きな役割を担う可能性も秘めています。

人間についての理解を深めることは
それほど大きな意味を持つはずです。

本来、多様性のある人間が
うまく共生して行くために

自分を知り、相手を知り、
自分の特性を生かし、相手を受け入れる

非常に重要な考え方だと思います。

私たちは誰もが大きな可能性を持ち
生まれてきた存在であり、誰もがその
オリジナルでユニークな才能を伸ばすことで
自分自身の人生を豊かにし、

そして人類全体の発展に貢献できるはずです。

では、我々の生きる社会の動きとして、

実際のところ多様性を認める方向に我々は
しっかりと進んでいるのでしょうか?

甚だ疑問が残るところが多いです。。

 

社会の文明が進み、情報社会、グローバル社会
に発展した昨今ですが、

人類は価値観の多様性ではなく
みんなが同じような性格を目指す
均一化の方向へ進んでいないでしょうか?

特に日本はそうした傾向が強いように思います。

例えば、

大学の入試試験のことを考えてみましょう。

最近の論調では、少しずつ学力試験だけでは
多様な学生を確保できないからと
面接試験を加えるべきだ、

という意見が受け入れられるなど、
入試に関する考え方も変わってきています。

が、
面接を加えるだけで本当に
多様な学生が確保できるでしょうか。

一番「多様な学生」を確保する方法は、

「試験を辞めること」でしょう。

ハードルを一切設けず、願書を出した
学生を全員入学させるか、

志願者が多くなればくじ引きで
入学者を決める、

これが最も多様な個性を持った
学生を入学させる方法でしょう。

何か特定の価値観のないバイアスのない
人材を集める最も効率的な方法です。

 

 

しかし、、

これが実現する可能性は
今のところかなり低いでしょう。

ただここで考えて欲しいのが、

学力試験を行うということは、
少なくとも学力によって入学者を選抜する
ということを意味します。

つまり、

入学してきた学生は、

学力という観点のフィルターで
選ばれた人のみということで、

多様性には欠けているのです。

ではここに面接試験を組み合わせれば
どうなるでしょうか。

ただでさえ学力によって
個性が均質になっている集団から、

さらに面接によって、面接官が
何らかの基準に基づいて選抜を行う
ことになるのですから、

多様性は増すよりむしろ
減少する可能性の方が高そうです。

当初の目的が入学者の多様性の確保のため
面接を加えているのに、

そのために行った入試改革の結果
多様性を失ってしまうのは、
皮肉なパラドックスとなってしまいます。

入試だけでなく就職試験でも
似たようなことが起こっています。

筆記試験や学力試験、面接試験と
複数の試験を組み合わせて選抜していけば行くほど、

選ばれた人々の能力や個性はより
均質な特徴を持つことになります。

これが、1次、2次、3次・・・
と回数を重ねていけば、

それぞれの関門語を通過するごとに
フィルターがかけられ、

残った人々の特徴は
より均質なものになってしまいます。

もし選抜の目的が、

「多様な人材の確保を求める」

のであれば、この結果は
目的にそぐわなくなります。

そもそもこれは、

「筆記試験や面接がちゃんと機能している」

という条件が必要です。

結果的に合格者が、まとまりなく
バラバラな印象の集団であれば、

試験そのものが適切に機能
していないことを意味するからです。

こうして、

受け入れる側は「一定の条件、価値観」で
フィルターをかけ選抜せざるを得なくなり、

求められる側は、その条件、価値観を
分析し、対策を練り、そこに合わせようとする。

つまり、

今の社会は、多様性を認め、受け入れる
よりむしろ均質的な能力を生み出すような
仕組みが存在するのです。

この部分をまずはしっかり考えて欲しいのです。

これから性格心理学について、人間の持つ
様々な特徴について紹介して行きますが、

この辺りの本質がブレてしまえば、
性格を学ぶ意義も変わってきます。

性格を決めつけ、特定の枠に閉じ込め、
決まった対処でコントロールするのか、

性格を学ぶことで性格から自由になり、
それぞれの特徴、生まれ持った個性を伸ばすのか。

大きな差が生まれてしまうのです。

いずれにせよ、

「人を選抜する」ことがどんな意味を持ち
どんな結果をもたらすのか、

こうしたことを考えて行くことは重要でしょう。

ロボットのような画一化された個性の
人類が増えるのか?

バラバラな個性がハーモニーを生み、
一段と面白い人類が増えていくのか?

個人だけでなく社会全体に関わるのが、
これから性格心理学を学ぶ意義になるのです。

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