性格のメカニズムというのは、
それぞれのタイプの持つ
根源的恐れ
によって作動するというのが
エニアグラムの考えです。
人間は誰しもが恐怖の感情を持ちますが、
根源的恐れというのは、
幼少期において、
自らの本質とのつながりを必然的に
喪失することから生まれるとされます。
トラウマから性格は作られるとも言えます。
つまり、本質的には
私たちの性格というのは
恐れに対する防衛反応なのです。
このような喪失への恐怖は
様々な理由によって生じます。
私たちはベイビーとして
この世に生まれた時に、
性格はありませんでした。
ある意味、魂の面では完璧な存在でした。
が、人間として成熟するために満たす必要のある、
生得的欲求ニーズを持っていました。
肉体面、感情面、思考面で、
生きていく上で必要なものです。
それが社会で生きる人間の宿命です。
トラウマを抱える人類
残念ながら、現実は完璧ではありません。
そして、当然ながら、
どんな最良の環境であってさえ、
親は私たちのすべての要求を
完全に満たすことはできませんでした。
言うなれば、
私たちの不完全な性格を作ったのは、
親の未熟さがゆえ…と言えるのです。
が、
親を責めてはいけません。
人間は誰しもがこのメカニズムを抱えるのです。
トラウマと聞くと深刻な
心理的な症状を思い浮かべる人もいますが、
そうではないのです。
量の多少はあれ、誰しもが
トラウマを抱えています。
誰もが幼少期の影響を引きずって
大人になるのです。
勘違いしないでください。
虐待や親の子育ての問題ではないのです。
どんなに善意であったとしても、
どれだけ恵まれた環境においてさえも、
親は私たちの欲求にどんな場面でも
正しい対応することは難しかったのです。
不完全な親が不完全な人間を育てる
それは特に親自身において、
適切に満たされていないものです。
親もベイビーとして、この世に生まれ、
偏った性格を持つ両親の元で。
偏った性格を育ててきました。
その上で子供を育てるのです。
そうやって人類は命を繋いできました。
よく考えれば当たり前です。
理想は理想、現実は現実です。
どれだけ注意を払い、愛情を持っても、
必ず根源的恐怖を持ってしまうのです。
赤ちゃんというのは、
広範囲の感情や状態を素直に
純粋に表現するのが自然です。
しかし、もしこうした資質が
親自身の中で不都合なものであれば、、
赤ちゃんがそれを表現するたびに、
彼ら不安になり、不快感を
覚えることでしょう。
その表現も人様々ですが、
例えば、叱ったり怒ったり、悲しんだり、
親の表現を通じ、子も学びます。
そのことで幼児の私たちも
不安になり不幸を感じてしまうのです。
それがトラウマとして残り、
性格を形成するというわけです。
大人は純粋な表現はできない
これが性格メカニズムを形作る
きっかけになります。
例えば、
赤ちゃんが純粋に生きている
喜びと嬉しさを表現しているのに、
母親がうつ状態であるとします。
この場合、母親が赤ちゃんの喜びに対して
心地よく感じる可能性は低いでしょう。
何かしらのネガティブな反応をします。
その結果、赤ちゃんは
母親がもっと不快にならないよう、
喜びを抑圧することを覚えます。
純粋な喜びに純粋な喜びで応える。
であれば、喪失感はありません。
が、親の態度で喜びは間違いと学んでしまうのです。
もちろん、
ここで別の気質を持つ赤ちゃんなら、
母親からの表現を引き出すため、
泣いたり、より強い働きかけを
するかもしれません。
ただし、赤ちゃんがどのような
表現をしたとしても、
その喜びがそのまま母親によって
受け止められ返されることはありません。
それは親が悪いからではありません。
親は親自身の性格パターンでしか、
返せないのだと理解するのが重要です。
ずっと心に残り続けるパターン
人間は学習をします。
誰もが純粋な反応を忘れ、
偏ったパターンの反応を身につけます。
どんな性格でも偏りがあります。
学習は、最初は親からスタートです。
それが純粋なベイビーの心に刻まれます。
こうした限定された、そして往往にして
うまく機能しない行動や態度というのは、
子供の感受性の強い心の
コアの部分に刷り込まれてしまい、
トラウマとしてずっと残ります。
生き方やその後のすべての
人間関係にまで持ち込まれるのです。
幼少期に満たされなかった
欲求やその後の不都合の結果として、
私たちは極めて早い段階で、
自分の中の特定の重要な素質が
欠落していると感じ始めます。
そのため、当たり前ですが、
深い不安感を抱えてしまうのです。
その不安にどう対応するかで
その子供の本来の気質が決定する
可能性が強いわけです。
そのパターンをまとめたものが、
性格心理学の本質なのです。
そうです。
性格は決してポジティブなものでなく
ネガティブな要素を持つものなのです。
究極的な恐怖とは?
その後確立する性格タイプが何であれ、
私たちは全て、自分は何か
根本的に間違っているところがある
という前提でスタートしています。
こうして本質、全体性は少しずつ失われ、
部分で生きることを覚えていきます。
それは言葉で表現できないものの、
強い無意識の中で不安が残っているのです。
それが「根本的恐れ」です。
それぞれのタイプは、
独自の根本的恐れを持っています。
それぞれ違う反応、行動パターンを持ちます。
そして根本的恐れは普遍的なものでもあります。
もちろん、もっと深掘りすれば、
根源的恐怖は「死や消滅」という
生物の持つ普遍的な恐れです。
その反応がそれぞれ違うと言うことです。
全ての性格は、死、無に帰すことへの
恐れ、トラウマから来るものなのです。
その防御反応から来るものなのです。
だからエニアグラム9つのタイプ、
誰もが全ての要素を少しずつ
持ち合わせているのです。
そして、私たちは自分の中に、
9つ全ての根源的な
恐れを見いだすことができますが、
その中でも特に1つのタイプの根源的恐れが、
他のものよりはるかに行動の動機になりやすいです。


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