前回見てきたように、
エニアグラムのルーツそのものは、
諸説あるのですが、
エニアグラムの図形を
現代の世界にもたらしたのは、
ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ
(George Ivanovich Gurdjieff)
でしょう。
20世紀最大の神秘思想家と
呼ばれるグルジェフ、
謎の多い人生を送ってきた彼について、
専門家は様々な解釈をしますが、
現在でも有効な心理ツールとしての
エニアグラムですが、
彼がいなければ存在しなかったかもしれません。
多くの謎、ミステリーの残る話です。
世界を旅した彼は、まさにその目で手で
エニアグラムを発見したのでしょうか。
或いは、啓示、ひらめきによるものなのか。。
実はその辺りもよく分かっていません。
また、グルジェフ自身はエニアグラム
についての著作は残していません。
グルジェフの思想をまとめた
P・ Dウスペンスキーによる
エニアグラムに関する講義集が
残っているだけなのです。
今回はそんなグルジェフとエニアグラムの
関わりについて簡単に追いかけてみましょう。
真実の探求者グルジェフ
彼はギリシャ系アルメニア人で、
1875年に生まれました。(当時、ロシア領)
若い頃から、秘教の知に興味を持ち、
「魂を変容する」
(サイキックトランスフォーメーション)
という完全なる科学が古代人によって
開発されたものの、その後失われた
と確信したそうです。
そして彼はその失われた
英知を探す旅に出かけます。
人間が変化し、進化する。
(トランスフォーメーション)
この失われた科学を回復したいという
情熱を共有する少数の友人たちと共に、
グルジェフは見つけられる限りの
古代の知恵を集めようとしました。
こうして友人たちと共に、
「真実の探求者たち」
(Seekers After Truth–SAT)
というグループを作ったのです。
そして、それぞれが様々な
教えや思想体系を探求した上で、
定期的に集まり、シェアグループ
のような会合を持ち、お互いに学んだことを
分かち合うことに決めたそうです。
エニアグラムとの出会い
そして彼らは広く世界を旅しました。
エジプト、アフガニスタン、ギリシャ、
ペルシャ、インド、チベットなどを訪れ、
僧院や秘教の聖地で時間を過ごし、
古代の知恵の伝統について
できる限りのことを学んだのです。
そしてその旅の途中で、
アフガニスタンからトルコあたりで、
グルジェフはエニアグラムの図形と
出会ったと言われます。
それ以来、彼は自分とSATメンバーが
発見したものを独自に統合し始めるのです。
そんな長年の探求の旅が終わり、
グルジェフは結婚し、それまでの
知識を世間に発表し始めるのが、
第一次世界大戦の直前頃で、
サントペテルブルグ、モスクワで
レクチャーを始めます。
実践的エニアグラムのルーツ
そしてすぐさま、彼は
熱狂的な聴衆を獲得します。
それが「ワーク」と呼ばれるものです。
グルジエフは”work on oneself”と表現したのですが、
「自分を相手にした取り組み」という意味合いで、
とにかく自分と向き合うことを重視します。
これはエニアグラムを本当の意味で学び、
実践する上で大事なことです。
また、のちに「ムーヴメンツ」と呼ばれる
神聖舞踏の公演も積極的に行われます。
今でもその舞踏ではエニアグラムの
図形が使われています。
エニアグラムは性格分析ツールではない
当時、グルジェフが教えたシステムは、
心理学、スピリチュアリティ、宇宙論
にまたがる広大かつ複雑な研究でした。
それは学ぶ人たちが、
宇宙における自らの位置と、人生における目的を
理解する助けとなることが狙いでした。
グルジェフはまた、自分の哲学の中で、
エニアグラムは最も重要で
中心的なシンボルであると教えました。
そして、
エニアグラム的に理解するまでは、
これはつまり、
あるプロセスの要素を、
エニアグラムの正しい点に正しく位置付け、
全体が相互依存的部分であることが分かるまでは、
何かを完全に理解したことにはならない
と述べたのです。
つまり、
この時点でグルジェフが教えた
エニアグラムというのは、
主に、
「自然のプロセスモデル」
であり、
「心理学的な性格タイプ論」
ではなかったのです。
スピリチュアルと科学(心理学)は
現在の社会でもきちんと融合されていません。
もちろん、これからあなたは
心理学ツールとしてエニアグラムを活用する、
それで間違ってはいません。
が、そのシンプルな図形の裏には、
ゲオロギー・グルジェフを始めとする
神秘思想に触れた人たちが、
人類の英知を探ろうとして、
体型されていったシステムである。
その背景に深い哲学があることを
少しでも感じながら付き合っていくことで、
エニアグラムの活用も変わることでしょう。


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