ユダヤ人はトーラーを通じヘブライ語、信仰や律法などを学ぶ

ユダヤ人、華僑に学ぶ成功の極意


ユダヤ5000年の歴史の中、

世界中に離散したユダヤ人は強力な
周辺民族が発する文化的、宗教的影響力に、
絶えず晒されてきたにも関わらず、

強固に自分たちの民族的一体性を
守り抜いてきました。

どんな文化であれ時代とともに
消えてしまうものですが、

これは驚異的なことです。

その根源になったのはやはり、

613に及ぶ戒律、
365の「しては行けない」禁忌戒律、
248の「すべき」 義務戒律があり、

この戒律を遵守する生活様式こそ彼らの
民族的一体性を守り抜く源泉となったのです。

そしてもうひとつ、

ユダヤ民族のサバイバルを可能にしたのは、
変わらぬ戒律だけではなく、

時代環境の変化に応じて宗教生活の仕組みを
柔軟にモデルチェンジしていった事も
重要なのでしょう。

いずれにせよユダヤ人はトーラを通じて
ヘブライ語、歴史や律法だけでなく
様々な事を学びます。

国語と歴史、そして信仰、
道徳や人間としての生きる道、

などです。

トーラーを通じて学ぶこと

何よりもまずユダヤ人は、

トーラーを学ぶためにトーラーに書かれた
文字であるヘブライ語を勉強します。

そしてヘブライ語でトーラーを
勉強するのです。

その中でまず出会うのが
ユダヤ民族の歴史です。


つまりユダヤ民族としての自覚と責任を
トーラーに書かれる民族の歴史を通じて
学ぶのです。

そしてもうひとつ、

歴史とともに書かれてある
いろいろな神の掟である律法、

諸々の神の言葉を通じて
神への信仰を学びます。

神は存在するのか?

この論争は古代からずっと
行われてきました。

ただ、神の存在を疑いながらも、
ユダヤ教徒としての信仰は認められる
と言います。

むしろユダヤ教では信仰と献身を命じますが、
同時に疑う事も奨励されるのです。

彼らは狂信的な考えを嫌います。

ユダヤ人にとっての信仰

ユダヤ教の神への信仰…

といっても日本人にはなかなか
ピンとこないかもしれません。

もちろん私も、

その教えのコアの部分まで
理解している訳ではありません。

しかし、

実際に読んでみると
十戒に代表されるような

人間としていかに正しく生きるか

といった日本でいう道徳のような
内容を学んでいるのでしょう。

またユダヤ教ではそれぞれの年齢に
応じた学ぶ内容が決められています。

まず5歳になるとトーラーを学びます。

それは単に字面を読むだけでなく、 
物語として面白く大人が話してくれるのを
聞きながら覚えるのです。

こうした幼少期からの教育は
伝統をつなげるために必要です。

そして、

知性の土台作りとして重要です。

一見難しいトーラーでも物語として聞いたり、
自由に質問したりしながら内容を吸収する事が
出来ます。

このような事を繰り返しながら
子供たちの中にユダヤ人にとっての

基本である「歴史」
神から与えられた「掟」

が自然と身に付いていくのです。

イスラエル公用語ヘブライ語の創出

そして、

トーラーを学ぶ上で大切なのが
言葉を学ぶという事です。

ユダヤ人の言語として
ヘブライ語がありますが、

各地に散らばったユダヤ人は、

その土地の言語と、 その地域の
ユダヤ人にだけ通用する拡散ユダヤ言語
(イディッシュなど) を日常語として話し、

実際には、古代以来の彼らの言葉である
ヘブライ語は次第に忘れられていたのです。

もっぱら祈りの教典学習のためだけの
「書き言葉」だったのです。

これを日常生活で使用できる
「生きた話し言葉」として甦らせたのが、

エリエゼル・ベン=イェフダ
“Eliezer bēn Yәhūdhāh”

です。

彼は23歳にパレスチナに渡り、
一生を捧げて、世界各地から帰還する
「帰還ユダヤ人」のための国語作りに
励みました。

そもそも語彙が少なかった
古代ヘブライ語でしたが、

聖書や古文書から言葉を見つけ、
どうしても見つからない場合、
ヘブライ語に近いアラム語から借用し、

それでもない言葉は自ら新しく作り出します。

様々な出身者の言葉を話すユダヤ人が
故国再建の為に共通言語を1つにまとめる
必要があると考え、

1800年近く書き言葉としてしか
使われていなかったヘブライ語を
見事に創出したのです。


そしてイスラエル建国の際、
ヘブライ語は公用語となりました。

ユダヤ教は信仰より行為を重視

さらに興味深いのは、

ユダヤ人は宗教信条よりもずっと
行動を大切にするという事です。

他の宗教であれば、
祈るだけ信じるだけで良い、
という価値観もありますが、

タルムードでは、

世界の宗教文献の中で他に類の見ない
宣言を 「神の言葉」として以下のように
表現されています。

「ユダヤ人が私の律法に従わないよりは、
私を見捨てる方がマシである」



つまりユダヤ教においては
宗教と生活上の規範である 「律法」を
実践する事によって、

ユダヤ人は神に立ち返ると考えるのです。

ユダヤ教においては、
神の存在に疑いを抱いたとしても
ユダヤの律法に従って行動する限り
「善いユダヤ人」と見なされます。

しかし、

ユダヤの律法に反する行為をしながら
神を信じるユダヤ人は「善いユダヤ人」
とは言えないのです。

もちろん神への信仰を生活の中心に
おく事を否定しませんが、

それは神への信仰をそれぞれの
レベルで理解し、実践し得る事を
強調しているだけに過ぎないという事です。

行動こそが人生なのです。

この辺りの考え方にこそ、

脈々と続くユダヤ文化の秘密が
あるのかもしれません。

そしてあらゆる分野における
成功法則に通じる考え方なのです。

神の存在を疑いながらも、
学びと実践を通じて、日常生活の中に
ユダヤ教を取り入れる、

彼らにとって学びと実践こそが
個人と社会に対して大切な行為

なのです。

とは言えしかし、

ユダヤ教、トーラーを学びユダヤ教に
生き始めると自然に神の信仰に目覚める

と言います。

つまり、

実践する事によって、結果として
自ずと神に応える事になるのです。

いずれにせよ、

ユダヤ人はトーラーや聖書、
タルムードなど聖典を通じて、

ヘブライ語、信仰や律法などを学び
伝統を受け継いでいるのです。

こうした民族の一体性が彼らの
強さの秘密の1つと言えるでしょう。

 

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