ユダヤ人の学習法に見る、毎日少しずつ学ぶ意義、着実に成長

ユダヤ人、華僑に学ぶ成功の極意


大きな道を歩むにも一歩から始まり、

その一歩ずつ積み重ねる事で
偉大なゴールに到着します。

例えば、今の金融界を
ユダヤ人が多く占めるのは、

中世ヨーロッパのキリスト教徒が
嫌う職業であった「金貸し業」に、

厳しい規制の中で、
参入してきた経緯があります。

つまり、

制約があるからこそ、

着実な小さな利益を何百年と繰り返し、
濡れ手に粟や一攫千金を狙わず健全に、
そして堅実に事業を継続する事で、
金融業で成功したユダヤ人は多いです。

ユダヤ教で、

戒律と制約 (Discipline)を重視するのは、

「継続無ければ成功なし」
(Continuing is the father of success.)


という言葉を身にしみて
理解しているからかもしれません。

お金儲けをユダヤ教では否定しない、
というのもありますが、

長い受難の歴史の中で、
民族が生き残って行く為に、
小さい利益の積み重ねを重視し、

一攫千金を目論んで結局は
何も手に入らない事を理解していました。

“毎日少しずつ”着実に成長する事、

これは仕事でも学習でも参考になる考え方です。

着実に成長を重視する

ユダヤ人の学習法から
「毎日少しずつ」 学ぶ意義を
見る事ができます。

確かに英語でも筋トレでも、
一気にがんばるよりも毎日少しずつ
学び続ける方が成果は上がっていきます。

1日100回腕立て伏せをするよりも
1日1回100日腕立て伏せをする方が
筋力は付くでしょう。

1日100単語覚えるよりも
毎日1単語ずつ覚える方が、
英語力も身に付きます。

これは成功のコツなのです。

ビジネスでも勉強でも健康でも、
一攫千金のような短期集中を狙わず、

じっくり長い時間をかけて
確実に伸ばすやり方が重要です。

それほど毎日少しずつ続ける「継続」
こそが人生のあらゆる 場面で重要です。

ユダヤ人は伝統的に、
この継続の学習法が身に付いています。

これはなぜでしょうか?

トーラーを学ぶのはなぜ?

ユダヤの言い伝えでは、

トーラーを果物のイチジクに
例える事があります。

たいていの果物は食べる事の
できない部分があります。

例えばナツメには大きな種が、
ザクロには硬い皮があり
ブドウにも種があります。

しかし、

イチジクはすべて食べる事ができ、
捨てる部分は 何もありません。

ユダヤ人にとってトーラーを
学ぶのもイチジクと同様で、
その内容に無駄な事がないと言います。

また、オリーブやブドウ、
ナツメヤシなど多くの木は
その実が一度にすべて実りますが、

イチジクは時間をかけて少しずつ
実を付けていくそうです。

そう言えば、

聖書に出てくる知恵の実、エデンの園に
あった木に成る実を食べれば、

神に等しき知識を得るとされる
実もイチジクという説があります。

長く学び続けるユダヤ人の学習法

ユダヤ人はトーラーを学ぶという
学習法が伝統的にありますが、

このトーラーの学びも同様で、
トーラーの分量というのは膨大です。

トーラーは、1日や2日、1年や2年で
学び終えたというようなものではありません。

全生涯をかけて毎日少しずつ
学んでいくものです。

例えば、

良書を読んだ時、そこから
学び感じ取ることがあるでしょう。

しかし数年経ってから読みなすと
まるで違うことが書いてあるように
感じることがあります。

これは自分が成長し、その本から
吸収できるものが変わったのです。

1回読んだだけで分かった気になる
というのは実際には危険です。

時間をかけてゆっくり確実に
成長することが大切なのです。


こういった考えこそが、

粘り強く探求してやまない向上心を
ユダヤ人にもたらし、 多くの優秀な人材を
輩出する 秘密かもしれません。

ナポレオンとニシンの話

またユダヤに伝わる格言の説話に
以下のようなものがあります。



ナポレオンがヨーロッパを征服した時、

それぞれ征服した国の協力者に

「お前たちに褒美をとらせる。
何が欲しいか言って見ろ!」


と言いました。

フランス人は
「ワイン畑とワイン工場が欲しい」

ドイツ人は
「麦畑とビール工場が欲しい」

イタリア人は
「小麦畑とパスタ工場が欲しい」

とそれぞれ申し出ました。

ところがユダヤ人は
「ニシンを二匹だけ欲しい」

と言いました。

その願いはすぐに叶えられ、
ユダヤ人はニシンだけをもらって
帰りました。

他国の人たちはそんなユダヤ人を
見て馬鹿にしました。

「せっかくのナポレオン様が
褒美をくれると言うのに、
そんなちっぽけなものをもらって…」

…と、

しかしナポレオンはすぐに没落し、
島流しの刑にあいました。

結局願いが叶ったのは
ユダヤ人だけだったのです。


ユダヤ人を嘲笑した他の国の協力者は
何1つもらえなかったのです。

着実に成長し成果をあげる

この説話は、

「権力は移り行くもの」 事を
暗示しているだけではなく、

ナポレオンの天下がずっと続くと思い、

大きな褒美を要求した他の国の
協力者は結局は何も得られず、

ユダヤ人の小さな望みだけが
すぐに叶えられたのです。

どんな小さな望みでもゼロよりマシです。

このストーリーは、 欲張らずに、
すぐに叶えられる 小さな事から、
着実に実践して行こうという教訓
でもあります。

小さな成果、小さな成長でも、
それを何十年と繰り返せば、

いつの間にが大きな富も貯まって行く訳で、
いつしか成功できる訳です。

“毎日少しずつ”学ぶこと、

少しずつでも実践して成果をあげる事の
意義は大きい訳です。

物事と長くつき合う学習法

アインシュタインは、

「私は天才ではない。

ただ、他の人より1つの事と
長く付き合ってきただけだ」

と言ったと言いますが、

アインシュタインが科学に目覚めたのは、

4、5歳の時の父が持ってきた
「羅針盤(コンパス)」に感じた
「驚き」から始まったと言います。

4、5歳から見えない力の不思議さを
考え続けたからこそ、

偉大な発見を生み出したのでしょう。

また、

「1万時間の法則」

というものがあります。

「The New Yorker」のライター
マルコム・グラドウェルさんが
提唱したもので、

モーツァルトやビートルズ
世界的に有名なスポーツ選手が

その分野で活躍するための
練習にかけた時間は1万時間が
目安となるということ、

逆に言えば、

誰でも1万時間物事に取り組めば
その分野の一流になれる


という事でもあります。

その長く学ぶ学習法の習性が
ユダヤ人には伝統的にあるのです。

“毎日少しずつ”学ぶことで、
着実に成長する事ができます。

これは何よりも強い事です。

毎日のように続けられる人が
本当に強い人なのです。

特に伝統的にユダヤ社会では、

トーラーを読める事は
ユダヤ人としての義務だったため、

ユダヤ人は数千年に渡って少なくとも
男子はほぼ全員、 常に読み書きが
できたのです。

これも毎日少しずつ学ぶ
習慣の学習法の賜物と言えます。

トーラーの教育は家庭から始まり、

ユダヤ教では

「あなたが子供をユダヤ人として
育てたいと思うのであれば、

その子供の中に『トーラーの種』を
植えてあげなくてはならない」

と言います。

こうしたユダヤ人の学習法で
着実に成長するプロセスは、
どんな分野にも役に立つ考えです。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました