エニアグラムで目指す科学と宗教、心理学とスピリチュアルの統合

性格パターンと人間理解の極意

前回まで、エニアグラムの神聖な
部分に注目してきた訳ですが、

エニアグラムという1つの
性格タイプ理論体系における
深い学びの1つは、

「心理学」と「スピリチュアル」の
統合を目指す部分と言えるでしょう。

心理学は通常、大学や研究機関で行われる、
科学性、厳密性、客観性を求められるもの。

魂を扱うのは宗教やスピリチュアルなグループ、
曖昧な主観を大切にするもの。

あまりに両者は違うものですから
通常は分離され、区別されているものです。

「科学」と「宗教」

これは通常別々に考えられるものですが、
深い部分で見ると別々のプロセスではないのです。

ここに橋をかけるのが、
エニアグラムの最大の特徴でしょう。

どちらもメリット、デメリットがある

そもそも心は本来主観的なものですから、

スピリチュアルな感覚がなければ
心理学は本当の意味で私たちを
解放することはできませんし、

自分自身についての最も
深い真実に至らせてくれません。

そして心理学的な理解がなければ
スピリチュアルな感覚は、危険な思想に
偏ってしまいかねません。

自我肥大や妄想、現実逃避に
至ってしまうこともあるのです。

実際に、偏った思想が起こした
凶悪な事件は世の中にたくさんあります。

つまり、どちらにも有意義な部分と
極端に走る危険性があるのですから、

本来は区別できないはずなのです。

バランスの良い感覚が必須な訳です。

そこで…です。

つまり、

エニアグラムは

無味乾燥な心理学でもなければ、
曖昧な神秘主義でもなく、

自己成長のための道具なのです。

架け橋となる学問

それは心理学が持つ明晰さや
洞察やパターンを知る事を入り口に、

深く普遍的なスピリチュアリティに
向かっていくものです。

なので

エニアグラムというのは、
心理学とスピリチュアルの架け橋
と言えるでしょう。

また客観と主観をつなぐもの
と言えるのかもしれません。

現代社会はこれらを分離する傾向にあります。

科学(客観)は宗教(主観)を否定し、
逆もまた然りです。

もちろん、それも必要だったでしょう。

しかし、情報化、多様化な社会が進み
高度に文明が発達した現代人にとって、

両者を否定し合うのは愚かなことです。

私たちは融合を目指すべきなのです。

そしてエニアグラムはそれを可能にする
バランスの良い優れたツールになります。

性格をきっかけにする

エニアグラムの中心にあるのは、

「私たちがなぜ本質を忘れてしまい、
自分自身を見捨ててしまうか、

その心理学的メカニズムを
基本タイプが明らかにしてくる。」

というものです。

性格があなたの本質ではありません。

本質から離れた結果が性格なのです。

これが通常の性格分析学とは違う
エニアグラムの重要な部分です。

私たちの性格は、

持って生まれた気質の力を借りて、

子供時代の傷を防衛し、埋め合わせをします。

たった1つの武器で世の中を渡ろうとします。

この現実社会はユートピアではありません。

生きていくことは大変です。

ある種、楽園だったお母さんの
お腹の中からこの世に生を受け、

過酷な世の中で成長しなければ生きていけません。

子供時代に遭遇した困難を
切り抜けていくために、

私たちは限定された対応方法、
人生を生きる戦略やセルフイメージ、
行動などを無意識に身につけてきました。

つまりそれが性格パターンなのです。

人間の本来持つ人格の一部を
自分の性格という武器にして
世の中に対応して行ったのです。

それによって、

子供時代に何とか対処し、
生存することが可能だったのです。

したがって、誰もが特定の
対応方法の専門家となる一方で、

それが過剰に使われると、
性格の中でうまく機能しない
中心部分にもなってしまうのです。

世の中は盲点病

全体の一部が性格ですから、
常に盲点は存在します。

しかし私たちのほとんどは
性格が自分の全てと思い込みます。

一部で対応する限り必ず問題が起こります。

そして、盲点があり続ける限り、
他人を完全に理解することができず、
誰か他人を攻撃してしまいます。

しかし私たちはそれが限定された
部分であることに気づきません。

世の中は盲点病に冒されているのです。

誰もが同じものを見て、同じ目標に向かい、

でも…お互いに誤解し、偏見を生み、
摩擦を起こし、問題を生み、攻撃します。

そのような中で…

少しずつでも全体性を取り戻す。

これは大事なことです。

性格がなぜ生まれたか?

初めのきっかけは偶然だったかもしれません。

あるいは生まれながらに、DNAに刻まれた
パターンが存在するのかもしれません。

性格がなぜ生まれるかの議論は
専門家の間にも意見は分かれます。

ただ、いずれにせよ。

赤ちゃんの頃の無防備だった自我は
成長するにつれそれを守ろうとします。

その自我を守る精神的な手段として
ある特定のパターンを使い始めるのです。

全体性を少しずつ取り戻す

幼少期に身につけたこうした
性格による防御と対応方法は、

大人になるに連れさらに構造化し、
その人のアイデンティティとして
やがて同一化するのです。

そうして自らの全体性(本質)と
直接的なつながりを失っていくのです。

アイデンティティをもたらす源泉が
自らの存在(Being)とのつながりではなく、
性格になってしまうのです。

自己感覚が本質の自然な表現というよりも、

内面のイメージ、記憶、学習された
行動に根差すことが増えます。

言語学習に例えてみましょう。

赤ちゃんの頃は、
何語も話せませんが、逆に
何語でも覚える真っ白な状態でした。

そこに環境、両親などの影響で、
例えば少しずつ日本語を覚えるにつれ、

やがて日本人としてのアイデンティティを
身につけるようになります。

すると大人になればなるほど違う
国の言語を覚えるのが難しくなります。

これは人間として全ての可能性があった状態から
特定の言葉を覚えることによって制限された状態、

と言えることもできます。

そうです。

性格は一種の制限されたものなのです。

このように本質とのつながりを
失うことが深い不安を引き起こし、

9つの囚われのいずれかになって現れるのです。

こうしたと囚われは通常、
目に見えない無意識のものですが、
一旦生じると性格構造を作動させ始めるのです。

全体を扱う(スピリチュアリティ、宗教)
個別を扱う(科学、心理学)

性格を通じてどちらも理解する。

これがエニアグラムの本来の役割なのです。

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