さて、
敵に襲われたときでも
逃げる事ができる反応ですが、
こうしたとっさに動く
回避行動というのは、
体の中からどんな風に
起こってくるのか、
メカニズムの全容は
分かっていませんが、
もちろん脳は関わりがあるでしょう。
その中で重要な役割を
果たしていると思われる機能が、
一つ知られています。
それは「視覚」です。
つまり、
物を見る働きの中にあります。
哺乳類の身体には実は、
2系統の資格システムの働きが
宿っていると言われています。
カエルやワニなど、より原始的な
身体を持つ動物の視覚と
共通のルールを持つ
「古い視覚」と、 哺乳類に
なってから新たに発達した
「新しい視覚」です。
新しい視覚と古い視覚のメカニズム
脳も古い脳、新しい脳で層が
分かれていると以前、説明しましたが、
視覚も似たような
メカニズムがあります。
古い視覚の働きは、 目の前を
横切った影などに反応して、
とっさに逃げたり捕まえたりする
「反射的な動作行動」 をする
為のものです。
「動作」をする時にだけ働く
視覚システムがあるのです。
その中核を担うのが脳幹の一部
「上丘(じょうきゅう)」
と呼ばれる場所で、
つまり古い脳の中にあります。
上丘に入った視覚信号はその後、
大脳皮質(新しい脳)の
頭頂野という所まで到達しますが、
複雑な情報処理のプロセスを経ずに
「動け」という命令を発するのが、
反応が速いのです。
この反応は意識にのぼらない
ところで進むので、
ストレスに対する
逃走と闘争の反応のように
感覚的には、
「気づいたら動いていた」
という状態になります。
視覚のストレス反応に関わる脳の働き
一方で新しい視覚は、
何か物を見て
「これはリンゴだ」
「これはライオンだ」
「これはパソコンだ」
などと認識、識別する
働きをするメカニズムで働きます。
人間の場合は、
文字を読むという重要な
機能も担っています。
いわば「あれこれ思案」する為の
情報を集める視覚で、
通常、私たちが「視覚」というとき、
この働きをイメージします。
このメカニズムを担うのが、
大脳皮質の視覚野という場所です。
色彩や形などを繊細に
見分けられるのが特徴ですが、
集めた視覚情報を複雑に処理するため、
物を識別したり、行動を起こすまでの
時間が古い視覚より長くかかります。
仮に上司=ストレスとすれば、
古い視覚だけであれば
上司を見た瞬間に逃げ出せるのですが、
新しい視覚があり
「この人は○○さんだ」
という認識をする為に、
すぐ逃げ出す事ができません。
こうした
「動作の為の視覚」と
「認識の為の視覚」が
分かれて存在しているのも、
不思議な感じがしますが、
なぜわざわざこうした仕組み
メカニズムになっているのでしょう。
生存本能としての視覚
これも生き物の進化を
考えると納得できます。
美しい芸術を見たり、
本や新聞を読んだり、
テレビを見て楽しむのも
全て視覚のなせる技ですから、
そもそも人はなぜ見る必要が
あるのかを忘れてしまいがちです。
野生の中で暮らす生き物にとって、
物を見るという行為が
どう役に立ったのかと考えると、
まずは
「エサをとる」
「敵から逃げる」
「仲間を捜す」
「配偶者を見つける」
といった行動が最優先
だったはずですから、
野生の世界の「食うか食われるか」
の環境において、
生存や生殖といった本能を満たす
為の視覚に存在意義があるわけです。
そして私たち人類も元々、
古い脳だけで生きていた祖先の時代、
まずはその為のツールとして
古い視覚を身につけたのでしょう。
視覚の発達と現代人のストレス
もっと後の時代になれば、
哺乳類の頭の中で
大脳皮質が発達するようになり、
「物を認識する視覚システム」
が成立したのです。
だから哺乳類は、
多層的に重なったような格好で、
古い視覚、新しい視覚の働きと
メカニズムが備わっているのです。
そこから人類は進化ととげ、
文明を発達されて行きました。
こうした視覚と反射行動が
ストレス反応に関わるわけですが、
私たちの感覚の中ではこの
二つの働きはリンクしているので、
二種類の機能を個別に
感じる事ができません。
しかし例えば、
脳卒中などによって片方の
系統だけ損なわれたケースでは、
個別の働きが鮮明に浮かび上がる
と言われています。
例えば新しい視覚だけ
失われてしまった人は、
リンゴを見せられても、
それを「リンゴです」と答えられず、
意識としては目に見えないのです。
でも古い視覚は生きているので、
リンゴをとる為にそこ向かって
手を伸ばす事はできるそうです。
またごつごつした岩や木の根があり
歩きにくい山道でも障害物を
避けながら歩く事もできるそうです。
こうした不思議な私たちの
視覚と脳のメカニズムですが、
これらが「体の声」とどう関わるか
次回から考えてみましょう。


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