日本では、学校でも家庭でも、会社の
会議の場でも、あらかじめ書類が配られ、
それを確認し合う慣例的なものが多く、
そこで自己主張をし合ったり、意見を対立
させるような事はほとんどありません。
新聞やテレビを見ても、みな横並びに線を引き、
一社だけ独自の異論を展開するといった事は
ほぼありません。
日本では議論や討論を言い争いと見てしまい、
避けるような文化が普通でした。
一方で、ユダヤ人は
「議論好き、ディベート好き」
として有名ですが、
これは実際に人生にメリットのある
コミュニケーションの習慣なのです。
社会で成功するために必要な
脳の訓練となるものです。
だからこそユダヤ人は、
幼少期から徹底に教えられ
訓練されている事でもあります。
最近ではようやく日本人の間にも
ディベートや議論の重要性が浸透してきましたが、
以前は議論=喧嘩と考え、
自分の意見を否定されたと
怒りだす人も多かったようです。
しかし議論、ディベートというのは
ケンカではなく、楽しむものであり、
議論相手を否定する事はないのです。
なぜ彼らは議論好きなのでしょうか?
おそらくここにも、 人が成長をしたり、
良い結果を出す、 ユダヤ人の成功の秘密が
隠されているでしょう。
今回はこの辺りの秘密を探っていきす。
ユダヤ人のディベートの習慣
前回紹介した教育方法で、幼少期から
ユダヤ人は意見を議論させる習慣があると
紹介しましたが、
もしユダヤ人に
「成功する秘訣は何ですか?」
と質問すれば、 皆違う答えを出すはずです。
私が確信を持ち自分の結論を言っても、
やはり違う意見を出され混乱してしまう
事もあります。
しかしこの 「違う意見を言う事」
自体が、ユダヤ的なのでしょう。
例えば、
ユダヤ教では異論は大歓迎であり、
討論は一種の芸術です。
ユダヤ教は聖書の解釈についても
議論の蓄積がタルムードやトーラーの
教えとして残ります。
そして文化的に、議論をして
ディベートをすることで、
「より良くしよう」とする思考法が
幼少期から訓練されているのです。
異論は否定ではないのです。
次によくするための材料なのです。
この辺りを勘違いする
日本人はかなり多いのです。
だから例えば、
ユダヤ人は誰かが 「Aである」と言ったときに
自分も「A」だと思っていたとしても、
しばらく考えてから 「Bである」
と言ったりします。
すると最初に「A」と言った人は
それに反論したり、
「Cという考えもある」 と
新しい考えを述べたりします。
これは思考を固定せず柔軟に考える事ができる
様々な日常の場面でも役立つメリットのある
思考法です。
議論を知的ゲームとして楽しむ
肩書きに弱い…というのも
日本人の弱点かもしれません。
権威に盲目的に批判せず
受け入れてしまう民族…
と言ってもいいかもしれません。
例えば医学の世界なら、
○○大学の△△教授の意見だから
という理由だけで盲信してしまいがちです。
白衣を着た先生に言われたことを
何の疑いもなく受け入れてしまいます。
しかし、ユダヤ人にとって
神という最高権威にすら疑問を抱く
事もある訳ですから、
肩書きくらいなら通用しません。
しっかり疑問を持ち、 質問をして、
納得いくまで討論する事ができます。
それは結局の所、
自分の頭で考える事になり、
人生のあらゆる所で役に立つものです。
だからこそ私たち日本人も
家族から友人からでもまず、
意見を言い合うディベートとして
普段から訓練して、習慣化して行く事は、
日本のビジネスマンにとって
役立つスキルとなるでしょう。
議論やディベートは知的ゲームのような
感じで色々な可能性を探っていくのです。
自分の意見に反対された腹が立つ、
というような感情を抱かず、
むしろ反対意見や斬新な意見を
楽しんでいるので議論も活発です。
確かに何かを考え議論しディベートするのは
慣れてくるとゲームのような感覚で
非常に楽しいものです。
議論好きになる理由も分かります。
しかしイスラエル人は異なる意見を言う時には
声も大きくなって怒ってケンカをしているのでは、、
と感じる事もあるのですが、
彼らは実は議論を楽しんでいて議論が終われば
とても仲良くしているのです。
ディベートは喧嘩ではなく
単なるコミュニケーションなのです。
異なる意見を言うのは非難をしている訳ではなく、
攻撃をしあっている訳でないのです。
議論を避かがちな日本人
一方で日本人は、
自分と違う意見を言われると、
個人攻撃のように受け取ってしまう人も多いです。
しかし異なる意見をぶつけ合って
考えるほどより良い結果が出ます。
三人寄れば文殊の知恵と言うように
1人で出した考えよりも意見をぶつけ合う方が、
良いアイデアになるというメリットがあります。
また意見を交わす事で
お互いの考えていることが分かり、
より仲良くなれます。
だからユダヤ人は議論好きなのです。
ディベートの習慣を持っているのです。
日本人は必要以上に対立や
議論を恐れている気がします。
日本人だけで暮らしているのであれば
「和」を重んじ、対立を避けるのも
良いのですが、
グローバル化の進んだ今、
日本人は自分の利益を守ったり、
主張を通す議論をしなくては
不利な状況に追いやられるだけです。
これはもったいない事ですし、
国際競争では不利になりかねません。
欧米の学校では、
「ディベート」や「質疑応答」などの授業が
どんどん取り入れられています。
華僑成功者もディベートが
ものすごく得意です。
しかし日本では議論の文化は
なかなか育ちません。
日本でも各地でセミナーや
講演会が開催されますが、
講師が延々と喋り、質疑応答の時間はまったくなく、
あったとしても誰も質問しなかったりします。
欧米では講師の話を遮ってでも、
次から次に質問が出ます。
論理を考え、相手を説得するスキルを磨く事は、
ビジネスでも最重要の課題です。
相手の足を引っ張るのではなく
よりよりものを作る上で重要です。
ういう意味で議論やディベートの訓練、
習慣を通じ、 鍛える事は重要なのです。
これからのグローバル社会、
日本の社会がどうであろうと、
世界中の人がネットなどを通じ、
議論し、自己主張し合っています。
そこを「空気を読む」と
反論を避けているようでは、
相手にされなくなりかねません。
そういう意味で、ユダヤ人の議論好きから
学ぶ事も多そうですね。


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