ユダヤと華僑の似ている所と違う所

ここまで見てきたように、

ユダヤと華僑は世界から見て
非常に特質的な特徴を持つ民族と言えます。

ここで改めて、

この二つの民族の似ている所、類似点と
違う所、相違点を挙げてみましょう。

紀元前、ユダヤ人には今の
イスラエルあたりに王国がありました。

しかし、その国家も、
ローマ帝国に滅ぼされます。

やがて流浪の民となり
世界中に離散するわけですが、

ユダヤ人は1日たりとも
ユダヤ教の教えを忘れず、

それを生きる拠り所として、
信念として持ちながら、

世界各国に散らばり住んでいました。

つまり、

ユダヤ人はユダヤ教という
宗教、信念を頑なに守った民族です。

一方、華僑も同じく
世界に離散し、現地に同化します。

その理由はユダヤとは異なり、
様々な理由があります。

また中国は歴史的に政治体制が
常に変わってきたものですが、

母国そのものが無くなったわけではありません。

その国の国籍を取る華僑も多いですが、

その華僑をひとつにまとめる
華僑教なる宗教、教えはありませんでした。

海外に出て、その国に移住する
これは似ているところですが、

ひとつの教えのもと民族の
アイデンティティがあるか否か、
ここは違うポイントです。

ユダヤ人は混血を繰り返し、
様々な国籍に分かれていますが、

ユダヤの教えを決して忘れず、

その教えを守り生き延びてきた
経緯とは対照的ですね。

華僑教が無い、ということは、

つまりユダヤのような聖典
旧約聖書がないとも言えます。

ただし、

中国には歴史的に見て、
儒教や老荘思想、

諸子百家と言われる
多彩な哲学が興りました。

特に儒教は宗教か哲学かと言えば、
少し論議もあるでしょうが、

儒教は時代の移ろいと共に、
大きく変質を遂げ、

純粋な信仰としては、
朝鮮半島や日本へと流れ込み、

中国の民衆には儒教はほとんど残っていません。

むしろ物質主義の台頭から、
拝金主義的な思想に傾斜しているとも言えます。

宗教的モラルは低下し、犯罪が増えている指摘もあります。

海外へ出た華僑は、

福建、広東など華南からが中心なので、

儒教ではなく仏教徒が多いです。

米国華僑の多くは
キリスト教徒が圧倒的です。

ユダヤの一神教の絶対の神様の存在は、

中国の伝統から言っても少数で、
ほとんどが多神教です。

したがって民族をひとつにまとめる聖典はありません。

孫文は

「中国人は団結しない砂のようだ」

と言ったそうですが、

ユダヤ人も団結が苦手です。

イスラエルの
初代首相ベン・グリオンも
国民をまとめるのに苦労したようです。

個我の強い所は両者の似ているポイントでしょう。

しかし、そんな個性的なユダヤ人も

唯一の宗教、聖典のもと、
強い精神的な絆を示すのです。

一方で、華僑は前近代的な
地縁血縁を何よりも優先します。

華僑の中でも初期の中国人にとって、

巨大な祖国は常に現存したわけですから

故郷に錦を飾る思いで、
出稼ぎに出かけた中国人も多く、

そして、それは実際に可能だったわけです。

異国の地でただお金を稼げばよかったのです。

ところが、ユダヤ人にとって
半世紀前まで国がありませんでした。

ヨーロッパ、米国でも
迫害や迫害は繰り返され、

第二次大戦後、ようやく
イスラエルの国家が建設されます

ところが国家的安定は迎えられず、

パレスチナ問題を始め、
課題は少しシフトしたかもしれませんが、

周辺国との緊張感は続いています。

ユダヤ人から、
優秀な科学者や思想家、哲学者が
多く排出された、

その最大の理由は、

多民族からの差別や迫害を受ける
環境に身を置くこと、

常に緊張感と隣り合わせに生きる上で、

差別や迫害という、
非合理性を明らかにして、

各国で因習を打破するために、
革新的で進歩的なイノベーションを
生み出す土壌があったためでしょう。

スピノザ、マルクス、マルクーゼ

など、時代を変えるような思想家を生み出した。

一方、中国では、古代から

孔子、老子、荘子など
偉大な哲学家が興隆した後、

海外に出た華僑から哲学者は出ませんでした。

富を築く華僑は多いですが、

世の中を変えるような思想や
発明を生む華僑の文化的土壌は
ありません。

この辺りにもユダヤと華僑の
文化的特徴の違いはあるのでしょう。

ユダヤと華僑という
似たようで対極にいる両者が

これからの時代、どう生きていくか、

何を発送し、生み出していくか。

日本人である私たちにとっても
目が離せません。

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